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趣味は縁かいな
弁護士 松 枝 迪 夫
 趣味は相当熱中するか、長期間続けたものでないと趣味談義はできないようです。

 スキーも趣味ですが別の機会にします。私の今はまっている趣味はと聞かれたら、小唄と答えましょうか。趣味も色々あり、また若い頃と今とでは変わって来ました。多くの人が筆頭にあげそうなゴルフと麻雀は、かつてやりましたが熱中しませんでした。囲碁は熱中したことがありますがずっとやっていません。

 日本橋の三越前を小舟町や人形町方面に数分歩いたビルの5階に私の小唄稽古場があります。すぐ東側を日本橋川が流れていますが、今はその上を不恰好な高速道路が走っていて昔の情緒は見られません。それでも三味線片手にいそいそと稽古場に通う様を想像して下さい、とても弁護士には見えない、いっぱしの通人に見えるのではないでしょうか。

 四畳半で遊んだこともない堅物が美人師匠について小唄を習い出して十五年になります。どこが気に入って続けているかと言えば、私の場合は歌詞や文句に惹かれています。江戸、明治の庶民文化の香り、人の心の綾があるからです。百曲以上も習ったでしょうか、皆いいものです。遂に病膏盲(こうこう)に入って今年1月から三味線を始めたのです。声を出して唄うのとは全く違った雰囲気で、今のところ曲をうまく弾くというより三味線に必死にしがみついているという段階です。「弾く(ひく)」と書いて引くと書かない理由がまず分かりました。私は爪弾き(つまびき)専門で撥(ばち)を使いません。爪弾きといっても爪でなく右手の人さし指で弦をはじくため、皮が擦りむけます。

 難しいのは勘所(かんどころ)をつかむことです。この勘所をきちっと押さえないと音階の正確な音がでないのですが、この位置は楽器に表示されていないので勘で慣れるより他はありません。それと調子を合わせるのが難しい。「三味線3年琴3月」という位奥が深いようです。

 この稽古場のビルの所在地はかつて安針町といわれていました。この名前でぴんと来る人は歴史に明るい人です。江戸幕府を開いたとき徳川家康がある外国人に三浦按針という名を与えてここに住まわせたので安針町と呼ばれたのです。この人はウィリアム・アダムズという、大分に漂着したオランダ船リーフデ号の水夫でした。

 この近くは面白い歴史のある所です。ある日徘徊して発見したのですが、小舟町は戦前五大財閥の一つといわれた安田財閥の発祥の地だということです。創業者安田善次郎が幕末に富山から江戸へやってきて小網町で小僧となりその後小舟町の四ツ辻で小銭を両替する露天を開いた場所だということでした。富士銀行は安田財閥の後身ですから、小舟町にある支店の一角に発祥之地という記念碑が建てられています。

 同じ五大財閥のひとつの大倉財閥の創業者の大倉喜八郎(ホテルオークラ創業者の大倉喜七郎の父)も越後より同じ頃上京してこの魚河岸の塩物商の小僧となり、やがて一人前の鰹節屋を経営して成功しました。

 この稽古場のビルは由緒があって、マグロ扱い業者では日本一といってよい「マグロの大善」といって有名な魚市場の仲卸し業者の店に鉄筋で建てられました。先祖は、家康江戸入城と共にやってきた摂津の孫右衛門らの仲間で、以降佃島を中心にずっと魚屋をしているので4百年になる老舗の魚屋です。魚市場といえば今は築地魚市場ですが、大正12年に移転、この大善の14代目寶井善次郎が書いた「鮪屋繁盛記」(主婦の友社 平成3年)という本を著者の娘さんから借りて読んでこの近辺の江戸時代、明治時代の歴史や風物、マグロにまつわる面白い話を知りました。例えば「トロ」の話で、この名付け親は魚河岸の者だという。昔はトロはあまり食べないし、今のように珍重されていませんでした。日本食の西洋化で脂っこいものが好まれるようになり、東京オリンピックの頃から店頭で赤身とトロの需要が逆転しました。もともと鯛などの白身の魚に比べて赤身の魚は安物だったが、トロの需要のお蔭で格が上がったそうです。それから、梶木鮪という魚はないのだそうで、梶木は鮪と別の種類の魚で、市場では梶木は梶木というのだそうです。この先祖に芭蕉の門人の寶井其角がいます。忠臣蔵で、大高源吾に両国橋の上で吉良屋敷の句会を何気なく伝える場面がありますが、その人です。源吾の短冊も伝わっていたが焼失したということです。このビルはその大善の所在地に戦後建てたもので2階に事務室があり、実際の魚市場の仕事は築地にあります。私はここへくると、瞬時に400年前の世界に浸れるのです。これも趣味の与える余禄です。

 この有り難い趣味に私を引き入れたのは二弁の竹内澄夫弁護士です。彼は私の親友ですが、十五年前に何も言わず私をこのビルの一室に連れてきたのです。驚いたことにそこに今の小唄の師匠がおられ、まあ一曲聴いてとか何とか言っているうちに気がついたら入門させられていました。後で聞くと竹内先生はその師匠の会の会長をしていたのでした。この会長はこの道長く精進してきた(今はどうか?)ベテラン(技巧派より自然派)です。寿司のご馳走で会員獲得の誘いに乗ったのが浅はかだったと反省しています。しかしその反面、休日のひととき中山小十郎の「四萬六千日」などを市丸のテープで聴きながら気侭にたてた抹茶を飲んでいると、幸福とはこういうものかとしみじみ思うこともあります。

 ところでNHK邦楽のひとときにも出演されるほどの実力派の師匠は、竹内弁護士の先輩格の同じ二弁の先生の令夫人であることが判明、しかもその先生は私が弁護士になりたての頃勤務していた法律事務所の先輩弁護士でもちろん私も存じ上げている方でした。まこと縁は不思議なものと思います。

 最後に小唄の文句は粋で洒落ていて、大変いいものですので、私が気に入っている唄を四曲ご紹介して筆をおきます。


  縁かいな(注 両国の屋形船で花火をみる)

   二人暑さを川風に
   流す浮名の涼み月
   合す調子の爪弾きは
   水ももらさぬ縁かいな


  芝で生れて(注 NHK「その時歴史は動いた」でとりあげた
        江戸の火消し)

   芝で生まれて神田で育ち
   今じゃ火消のあのまとい持ち
   芝で生まれて深川育ち
   今じゃ辰巳のあの左づま


  置炬燵(注 この状況が今ありますか)

   置炬燵 ついうたたねの耳もとに
   そっと忍んで夕闇の
   おや雪かえ
   障子細目に吹きこむ風も
   肌にうれしい酔心地

  ほどほどに(注 あなたがこの人か)

   ほどほどに色気もあって品もよく
   さりとて冷たくない人に
   会ってみたいような春の宵
 
 

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